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ピアノ教室の講師がロシアに留学したワケ

モスクワ

なぜ、ロシアで勉強しようと思ったのかと聞かれる事がよくあります。 その答えは非常に簡単で、気づいたら、周りが全部、ロシア人だった、というと分かりにくいですね。

まず高校生の時にドストエフスキーの『罪と罰』を読んだのが始まりだったのかも知れません。 その後に、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で雷に打たれたようになり、スタニスラフ•イゴリンスキーさんのコンサートで、この人はどうやって生きているんだろうと、驚愕し、。。 その頃かな、テレビのCMで、確か三陽商会だったと思います。 凄く渋く低い声で、どこの国の言葉なのか、何を言ってるのかは全く分からなかったのですが、何度も何度もそのCMを待つようになりました。 当時はパソコンもなかったので、タワーレコードに行って、説明をして、見つけて頂いたCDが、ウラジーミル•ヴィソーツキーで、その人もロシア人だったわけです。

更に、先輩が貸してくれた、リムスキー•コルサコフのシェエラザードにまたどハマりしたわけですが、その指揮者もストコフスキー。 シェエラザードは色々な指揮者のCDを聴きましたが、やはり私はストコフスキーが好きみたいで、今度はまた別のストコフスキーを聴いて興奮したりしていました。 ストコフスキーが他界される前のシェエラザードのCDがあったのですが、それは本当に鬼気迫る演奏でした。

ロシアに留学中、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、もう続きが我慢出来ず、学校を欠席して読み終えましたが、先生に正直に言ったら、「それは仕方ないよねー、分かる」と、非常に理解のある対応でした。 他にも山ほどあって書ききれないのですが、興味のある事はロシアにたどり着く事がほとんどで、当時は行かないという選択肢はなかったです。 泣く事も怒ることも沢山ありましたが、若い頃を思い出す時は、真っ先に出てくる、1番輝いた時期でした。

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